先日、ウェアラブルデバイス関連として Google より ”Android Wear” が発表さました。
”Android Wear” と通常のスマホ版の ”Android” との違いは『”Android” が聞いたことに答えてくれる受け身タイプとすると、”Android Wear”は今必要な情報はこれでしょ!、ってガンガン教えてくれる積極タイプ』です。
”Android Wear” の本質は ”Google Now” という Google が開発している『あなたにピッタリの情報をちょうどいいタイミングでお知らせする。』サービスを統合したプラットフォームです。
Google NowはGoogle検索アプリケーションのアスペクトとして実装されており、ユーザーがデバイス上で繰り返している行動(よくいる位置、カレンダーにおいて繰り返している予定、検索語句)を認識することでユーザーにカード形式でより関連性のある情報を提供している。
引用:Wikipedia
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ウェアラブルデバイス と スマホの違い
ウェアラブルデバイスがどう生活を便利するのか今一度考えてみました。
今世紀最大に生活に革命を起こしたスマホとウェアラブルデバイスの大きな使用上の違いは、
- 身体との距離ゼロ
- 常に装着
だと思いました。
身体との距離ゼロ
スマホの使用スタイルは手に持って、指先で スイスイスイ です。
身体との距離は腕の距離分は離れています。
逆にウェアラブルデバイスの場合には腕等に装着するので身体との距離はほぼゼロです。
ウェアラブルデバイスの 真価 はこの身体との距離ゼロにあると思います。
ゼロということは身体の情報収集が可能となります。
収集した身体情報を活用しているのが”NIKE FuelBand”だったりします。
常に装着
スマホは携帯はしますが装着はしないので必ず身体から離れている時間があります。
例えば入浴中や睡眠中などです。
仕事中は鞄の中や机の上にあったりします。
ウェアラブルになると身体から離れている時間がありません。
常に装着された状態となります。
この”常に装着”されていることを活かして今必要な情報を提供するのが、”Android Wear” の方向性だと思います。
ウェアラブルデバイスの真価
”Android Wear” や ”Nike FuelBand” は便利そうに見えるのですがどこか中途半端さというか煮え切らないイメージを持ちませんか?
この突破感・超越感のないイメージの原因は、”気持ち悪さ” の少なさだと思います。
例えば今でこそ一般化した携帯電話を考えてみて欲しいのですが、携帯電話が出始めたころのイメージとして「ひとりに1台の電話、いつでも連絡とれる」というのは十分に気持ち悪かったと思います。
例えばFAXなんかも電話を通じて絵が送られるくるという気持ち悪さがあったと思います。
”Android Wear” についても個人の行動をロギングして、おすすめの情報を提案してくるのでそれなりに気持ち悪いです。
この”気持ち悪さ”の極限値点は、”身体との距離ゼロ” と ”常に装着” の特徴を活かして最終的にメンタルな情報にアクセスすることだと思います。
例えばメンタル情報に応じて、つまり気分(精神状態)に応じて最適な曲を自動選曲してくれるとか、今の悩みを解決してくれる本を推薦してくれるとか、色々その可能性はあります。
メンタルな情報を抽出される気持ち悪さはありますがメンタルほどその人のニーズを反映した情報はないと思います。
このメンタルな情報を活用できる点がウェアラブルデバイスの真価であり、この点に最初に到達した企業が大きな革命を起こせると考えます。
まとめ
ウェアラブルデバイス にその内、「ウェアラブルデバイスがあなたの心へのアクセスを求めています。許可しますか?」みたいなダイアログが表示される未来もくるのかもしれない。